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執筆者の写真永田レイナ

言葉



“言葉は救いにもなり、呪いにもなる”


“言葉”を扱う仕事に就いてから心に留めていることだ。


相手の表情を見て、目を見て、自分の持っている手札の中からその瞬間に最適な言葉を「これだろうか、いやこっちの方が」と熟考し、やっとの思いで手渡すはずの言葉が、いつからか親指だけで簡単に投げられるようになった。

そうして使い古された言葉たちが、小さな液晶の世界に並んでいる。

想像することを忘れ、誰かのためではなく自分の心を守るためだけに使われた言葉は誰かを呪う。その呪いをかけられた誰かがまた別の誰かを呪う。呪いの連鎖。

あるアニメでは魂が呪いでいっぱいになるとその魂の主は魔女に成り果てる。現実ならこの世は魔王と魔女だらけだ。呟く水色の鳥も、悪質な契約を迫る白い生き物に見えてくる。


愛情も憎しみも喜びも怒りも感謝も敵意も、言葉なくして伝えられない。

そうやってわたし達は、覚えた言葉を使い、そして言葉に囚われて生きている。

どうせ囚われるなら呪いではなく“救い”に囚われてみてはどうだろう。

あの時もらった言葉に救われたからわたしは今ここにいて、次は誰かの救いになればと日々マイクを通し言葉を電波に乗せている。顔が見えない分、人物像や状況、そして何より自分が渡す言葉が相手をどんな感情にさせるかを想像する。


救いの連鎖は、想像し、選び、使う言葉で実現すると信じている。

綺麗事と感じてもらって構わない。

あなたが言葉を発する時、一瞬でも思い出してほしい。

誰かの言葉で救われたように

誰かを言葉で救えるはずだから。















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